おにぎりが人の心に届く時
2000年当時、一つのメールマガジンで佐藤初女さんが中心となって「森のイスキア」という施設を運営していることを知った。佐藤初女さんの作るおにぎりが人の心に雪解けをもたらす、といった内容。青森県の弘前市は遠かった。弘前の雪は深いため、その施設は夏季のみ開いたのだった。そして、自分はアメリカに居たのだ。
友人が講演会があるので、講演会は聞かなくてもいいから、その会場まで一緒に行ってほしいと言ってきたのだった。そこは、現在大活躍中の大谷翔平選手がいるアナハイムだった。車で3時間の所だ。誰が講演をするのかと尋ねたところ、それは、まさに佐藤初女さんだった!
一緒に講演会を聞きに行くことになった。感動のあまり、正直話の内容は覚えていない。ただ会えただけで嬉しかったのだ。そこでは、おにぎりを作る時に使っているというチタン製の器を販売していた。当時の値段で25ドル程だったと記憶している。最後に初女さんが来場した人全員と握手をしてお見送りをされた。今でも覚えているのはその感触と初女さんのお祈り。
単なる食ではなく、食と生命との繋がりを教えてくれた佐藤初女さん、心から感謝しています。私は、食とは「命」を「生かす」営みだと常に感じている。
佐藤初女さんについて(Wikipedia 一部抜粋、著書:いのちの森の台所より一部抜粋)
佐藤 初女(さとう はつめ、1921年10月3日 – 2016年2月1日)は、青森市生まれの日本の福祉活動家、教育者。1983年に弘前市内で自宅を開放して活動を開始、「弘前イスキア」と呼ばれる。1992年より青森県の岩木山山麓に「森のイスキア」を開設。迷い、疲れ、救いを求めて訪れる人に食事を供し、寄り添うことで再生のきっかけとなる癒しの場を主宰。素朴な素材の味をそのまま頂く食の見直しにより、身体から心の問題も改善していくことができると訴えた。1995年、映画「地球交響曲 第二番」出演で広く知られるようになる。
国内外での講演活動やおむすび講習会など精力的に活動。
2016年2月1日、弘前市内の病院において乳癌のため逝去。享年94歳。
「イスキア」とは、イタリア西南部のナポリ湾の西に浮かぶイスキア島の名前から採られたもの。ナポリの富豪の息子で、何不自由ない暮らしをしていた青年が、この島を訪れて、贅沢三昧の生活から、自分を静かに振り返ることを学び、そこの司祭館に滞在したというエピソードから借用された。